「鍛造」とは
一般的には、鍛造は鋼材を加熱し、金型による打込み作業によって租粒を微粒均一したりファイバ-フロ-(鍛流線)を改善し、安定した強度がえられことを目的とした金属加工技術の一つです。
現在では身近な例として、童謡唱歌の「村の鍛冶屋」の手作業(手鍛冶)が強力なプレスとか空気圧のハンマ-による、安全な金型方式で加熱方法も含め合理的に近代化されたものになっています。
使用目的は、安全性により強度を要求される、特に原子力、プラント関連その他生命に関わる大切な箇所に使用され一般の人には見えないところで縁の下的役目を果たしています。
「付記」
・鉄とのかかわり
日本の製鉄は、「鍛造」の技術が卓越していた。その伝統は、後代に武器を美術品のレベルにまで高めた日本刀の製作までつながってゆく。
日本の鉄の原料は主として砂鉄であったが、その技術は6世紀ごろから発達した。
鉄器はちいさな製鉄場で分散して作られた。
鉄工業者は素材の砂鉄や燃料の薪炭を求めて、移動しながら鉄器を製作し、農民に供給する社会集団となった。
かれらの組織はヨーロッパのフリーメイスンに似た秘密結社的性格をもっていたといわれ、多くの製鉄遺跡が農村とは、ややはなれた山の中に残っている。
日本の製鉄技術の水準は時代をおって高度になり、15世紀ごろの日明貿易では日本刀が輸出の重要な品目であった。
また、ヨーロッパから鉄砲が伝えられた時、その数年後にすでに日本製のものが作られていたことが知られているが、その背景には伝統的な鉄の鍛造技術の発達があった。
のちには巨大な大砲までが鍛造によって作られている。
・「ねじ」の始まり
1543年の種子島の伝来について「鉄砲記」によると領主、種子島時尭(ときたか)はその鉄砲を見本にして、刀工に製造を命じた。
刀工は苦心の末、銃身を完成させたが、どうしても底を塞ぐ方法がわからなかった。
たまたま翌年に同島に来航した一人の鍛冶に教えをこい、ようやくその秘密を聞きだすことができた。
火薬の爆発力に耐えるには、ねじを用いるしかなかったのである。ヨーロッパではギリシャ・ローマ時代からブドウを絞るのにねじを用いていたが、日本では古くからテコを使用しており、ねじというものを知らなかった。
鉄砲とともにねじが伝わったことも、ヨーロッパとの交流による産物である。
注目は都より遥かに離れた辺境の小島でヨーロッパの最新技術の所産である鉄砲が国産化されたという事実である。
それは模倣というだけでは説明がつかない。
それは前述の優れた製鉄、日本刀の鍛造技術が当時すでに全国的に確保されて、応用できたからである。
以上 梅棹忠夫編著 「日本文明77の鍵」より
現在の日本が技術立国と称されているのは「鉄砲伝来」からもたらされたのかもしれません。
当社も先人の高い鍛造技術に誇りを持って、高品質の製品を作り続けなければならないと思います。